2016年5月4日水曜日

過去への執着

昨日の三ノ宮の事故、大変でしたね。
被害に逢われた方々の一刻も早い回復を心よりお祈りします。
 
***
 
中学の同級生で、今も付き合っている友達は、二人しかいない。
昨日は、そのうちの一人に会いに行くため、
先日に引き続き再び神戸へ。
 
目的は、手料理を食べに行くこと。

彼の作る手料理は、
はっきり言ってそのへんの料理屋より遥かに美味い。
だから、会うことになる度に、僕は必ず「宅飲み」を指定する。
今回も、わがままを言ってそうさせて貰った。




キンキンに冷えたビールと
蒸し鶏&フルーツトマトのサラダから始まり、
途中に餃子、唐揚げを挟んだうえ、
最後は三食そぼろ丼&アサリと椎茸の味噌汁で〆。
今回も最強メニューで、昔話や今後の展望など、
お互いの話に華を咲かせつつ、いちいち舌鼓を打ちまくった。
 
楽しい一夜だった。
数少ない、心を開ける友達に感謝。
  
生田神社にも立ち寄った
 
これを端につらつらと書いていくが、
僕自身、地元愛はあるが、地元の「連れ」愛は正直あまりない。
高校の友達に至っては、今も関係を持ってる友達はゼロだ。

よくフェイスブックなどで、
「僕たち今も仲良しです!」
みたいな感じで同窓会だったり、
若しくは定期的に集まって集合写真を撮ってたりするのを見るが、
それに対して共感意識がまったく湧かない。
 
何故なんだろう?と自分なりに紐解いてみると、
学生時代にあまり良い思い出がない…ってのも
一つの大きな要因なんだろうな、と思うが、
それ以上に、

「今が楽しくて仕方ないから」

ってのもある。
 
 
なんやかんやで、変わらず好きな事やれてるし、
昔の、無理矢理主体性を消して過ごしていた若年期に比べ、
歳を経るごとに自己表現の幅がいろんな意味で増え、
(増えたというか、元からあったものを解除できたというか)
それに伴って、それに呼応して集まる人たち、
腹を割って話せる人たちに、
たくさん巡り会うことが出来るっていう
代え難い財産を得た。

そりゃ、過去に執着なんてしてられないよ。

だから、今の自分を見ると、
昔の何も知らない連れはびっくりすると思うし、
おそらく誰か判らないと思う。

サンキタアモーレ広場 通称「パイ山」

人間、色んな生き方があるから、
僕は別にオールドコミュニティに特化する
ライフスタイルももちろん大事だと思うし、
それに対して、自分の生き方サイコー!って
盲信気味に語る気も毛頭ない。

ただ、人っておそらく、
自身の充実度がピークのときの思い出に縋りがちな
生き物だと思うし、そう考えると、未だピークでも何でも無く、
過去も特に充実してない「なんでもないもの」としては、
その時その時をわりとピーク感覚で生きれてるし、
そんな自分を見守ってくれて、変わらず支えてくれてる人たちへは
本当に感謝しかないな〜 と思っている。
 
ニュートラルに「今ここ」を生きる大切さってのは、
わりと核にあったりする。

だから、これからも執着はしない。

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