昨日の三ノ宮の事故、大変でしたね。
被害に逢われた方々の一刻も早い回復を心よりお祈りします。
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中学の同級生で、今も付き合っている友達は、二人しかいない。
昨日は、そのうちの一人に会いに行くため、
先日に引き続き再び神戸へ。
目的は、手料理を食べに行くこと。
彼の作る手料理は、
はっきり言ってそのへんの料理屋より遥かに美味い。
だから、会うことになる度に、僕は必ず「宅飲み」を指定する。
今回も、わがままを言ってそうさせて貰った。
キンキンに冷えたビールと
蒸し鶏&フルーツトマトのサラダから始まり、
途中に餃子、唐揚げを挟んだうえ、
最後は三食そぼろ丼&アサリと椎茸の味噌汁で〆。
今回も最強メニューで、昔話や今後の展望など、
お互いの話に華を咲かせつつ、いちいち舌鼓を打ちまくった。
楽しい一夜だった。
数少ない、心を開ける友達に感謝。
生田神社にも立ち寄った |
これを端につらつらと書いていくが、
僕自身、地元愛はあるが、地元の「連れ」愛は正直あまりない。
高校の友達に至っては、今も関係を持ってる友達はゼロだ。
よくフェイスブックなどで、
「僕たち今も仲良しです!」
みたいな感じで同窓会だったり、
若しくは定期的に集まって集合写真を撮ってたりするのを見るが、
それに対して共感意識がまったく湧かない。
何故なんだろう?と自分なりに紐解いてみると、
学生時代にあまり良い思い出がない…ってのも
一つの大きな要因なんだろうな、と思うが、
それ以上に、
「今が楽しくて仕方ないから」
ってのもある。
なんやかんやで、変わらず好きな事やれてるし、
昔の、無理矢理主体性を消して過ごしていた若年期に比べ、
歳を経るごとに自己表現の幅がいろんな意味で増え、
(増えたというか、元からあったものを解除できたというか)
それに伴って、それに呼応して集まる人たち、
腹を割って話せる人たちに、
たくさん巡り会うことが出来るっていう
代え難い財産を得た。
そりゃ、過去に執着なんてしてられないよ。
だから、今の自分を見ると、
昔の何も知らない連れはびっくりすると思うし、
おそらく誰か判らないと思う。
サンキタアモーレ広場 通称「パイ山」 |
人間、色んな生き方があるから、
僕は別にオールドコミュニティに特化する
ライフスタイルももちろん大事だと思うし、
それに対して、自分の生き方サイコー!って
盲信気味に語る気も毛頭ない。
ただ、人っておそらく、
自身の充実度がピークのときの思い出に縋りがちな
生き物だと思うし、そう考えると、未だピークでも何でも無く、
過去も特に充実してない「なんでもないもの」としては、
その時その時をわりとピーク感覚で生きれてるし、
そんな自分を見守ってくれて、変わらず支えてくれてる人たちへは
本当に感謝しかないな〜 と思っている。
ニュートラルに「今ここ」を生きる大切さってのは、
わりと核にあったりする。
だから、これからも執着はしない。
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